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【はじまり】
 1946年(昭和21年)、白神山地の麓・秋田県藤里町出身の淡路時三(八男)が、満州引き揚げ時、現金をサッカリンに換え、それを元手に菓子類卸 淡路商店として個人創業。
 商いを数年続けるも、卸の僅かな口銭では食べるのがやっとだった。そこで、毒物劇物取扱者試験を受けるため、秋田駅に向かったことが当社の始まりにつながる。
 当時は、最寄りの二ツ井駅から秋田駅の往復だけで1日がかり。隣駅の羽後飯塚駅で一泊するつもりであったが、大久保駅を利用する人々が目を見張るほど多く、試験を終えて復路、ふと降りたのが大久保駅だった。当時は、八郎湖から水揚げされる豊富な魚介類で、秋田の市場を支える行商や、大久保商店街(現在の自宅在所)では、買えないものが無いと言われるほど、商人の町としてにぎわう、眠らない町だったという。ここなら、何かできるかもしれない...
 1949年(昭和23年)縁もゆかりもない土地で、となり親戚と向かい親戚をお願いし、菓子卸より利益のある、菓子種原料(上南類)と菓子(クラッカー、バナナ焼き、ぶどう焼き)の製造を妻のツサと共に始める。毒物劇物取扱者資格はあっても、事業を起こすには元手がかかることもあり、名義は近所の薬房に貸していたという。当時は、寝る間もないほど忙しく、居眠りをしながら番重に菓子を入れ、夜更けに屋台を曳いて来る、中華そば屋の陳さんとは、中国語が達者だった時三には、終業前の一息つける時間だったのだろう。
 1950年(昭和25年)淡路製粉工場に改名。
 1954年(昭和29年)事業が軌道に乗り始めたところ、不審火によって住宅兼店舗工場を全焼。仲間の助けを借り、後片付けと再起にかける、前掛け姿の時三の写真が今も残る。
 翌1955年(昭和30年)熱田神宮参拝の折、かつて宮内にあった「清め茶屋」で一服していたところ、「きよめ餅総本家」初代社長と出逢い、その時の話として「お互い満州からの引き揚げ経験があり、その苦労をよく分かり合えた。」と聞いている。
 この熱田さんのご縁が、きよめ餅の原料として、そして当社の「礎」となる白玉粉製造と、以後、主力事業となる水挽製粉への扉が大きく拓き、今日に至る。
 きよめ餅さんは、感謝してもしきれない永年のお得意様であり、ご縁を頂いた熱田さんは、当社神棚に大切にお祀りしています。


代表取締役社長 淡路 光
 

【未来にむけて】
 淡路製粉は現在、創業100周年・2046年に向け、愚直に進んでいます。
 プラスに考え、現状に妥協せず、変化を求め続け、常に一歩先へ。
 ムダを削ぎ落とし、磨き上げ、魅了するほど、求められる商品づくりをしたい。
 ただ一つ、「水挽製粉を極める」ことを目指して。
 結果は約束されていない。しかし、努力は必ず報われる。
 今までがそうであったように、未来の景色が見えているから。


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